マミヤさんと何となく

なんとなくな暇潰しの話を なんとなく楽しんで頂ければ幸いです。

お姉兄さんと10代のヒヨコ

 

 

               こんばんは

 

 

          痛いだ辛いだ騒ぎたいならそうしなさい

          それが出来ない人達もいるんだからね

 

               さてさて

      10代の頃関東圏でアワアワしながら1人暮らししてた時

   ピヨピヨと戸惑う仕事帰りの私を捕獲してはご飯を食べさせてくれた

          おねにいさんのお店のママ?の名言?

 

          アレコレ不安や不満を口にしては

        ピヨピヨと喚く時もあったし泣くときもあった

 

          お店のお姉さん?達やママ?は

    太い腕と同じ位太い声で

         不器用に慰めてくれたり、励ましてくれた

 

 

         8年程して私がいよいよ参ってきたとき

       地元に帰るよう説得してきたのもママ?達だった

 

      会社のおじさん達も私の様子を心配してくれていて

            引っ越し迄手伝って頂いた

 

           沢山餞別を色々な方達から頂き

             一部の過激派からは

             骨が砕ける程の包容と

        ほっぺたが吸いとられる程のキスをされた

               唇は死守した

       

        同じメンバーが新幹線のホームに見送りに来てくれて

           また骨が砕かれほっぺを吸われた

 

           今思うと異様な光景だったと思う

        日章旗の刺繍されたツナギの恐面おっさん集団

            そして、おねにいさんの団体

 

         私が今駅でこんな集団を見かけたらヒク

 

             都会の人混みが嫌い

         無関心な他人のぶっ壊れた距離感が嫌い

            臭くて不味い水が嫌い

       当たり前に道端にゴミが転がってるのが嫌い

           ブランド思考の間抜けが嫌い

          壁を這うデカイ蜘蛛とゴキが嫌い

             うるさい在日が嫌い

             

          始めから全部不愉快でイラついた

                でも

      会社の人やママ?達、友人らのおかげで我慢出来た

         それが限界点を越えたってだけの事

 

        お世話になった方達と離れるのは寂しかったけど

        迷惑をかけるのは嫌だったから帰る事にした

 

        あの頃知ったり経験した良い事も悪い事も

           私の生き方の糧になっている

 

           今でも連絡をとってる方々もいるし

             もう会えない方も多い

 

        ほんの20年ばかりの間で色々な事が変わった

 

        当時辛かった事も今は他人事の様に感じるし

         もう会えない人達との思い出も曖昧だけど

 

               忘れないこともある

 

        今日もママ?達は相変わらず太い腕で器用に手料理を作り

              不器用に励ましてる

 

         そう考えると少し気持ちが楽になる気がする

                って話でした