こんばんは
今日は先輩の命日
十代からの付き合いで
いつもふざけて馬鹿だった私や仲間を
しょーがねー奴等だなぁ、と
何時も近くで呆れながら笑ってくれてた
いきなり遊びに行っても泊めてくれて
下らないイタズラにも付き合ってくれて
物静かだけど頼もしいお兄さんだった
皆各々働きだしてからは
バラバラになって
会えない時間も多くなったが
集まれば変わらない何時もの関係にもどった
何年も会えない時期があり
私も遠く離れた場所に移り
落ち着いた頃に
訃報を聞いた
もう何年も経つのに未だに実感がわかない
家に遊びに行けば
お前 来るなら連絡してこいよ!
と
何時ものしょーがねーなー、な笑顔で向かえてくれる
そんな気がしてしまう
実感が無いのは認めたくないからなのか
実感が無いから訃報を聞いても泣けなかった
他人は他人とわりきって生きてるのは楽だ
大事な人の死すら受け入れずに済む
現実を見ずに都合よく考えて逃げる事も簡単にこなせる
数年前
花をあげに先輩の実家に伺った時
憔悴したご両親の姿に言葉を失ってしまった
何時も元気で明るいお母さんが
来てくれて有り難うね
と言って無理して笑いかけてくれたのに言葉を上手く返せなかった
仏壇に手を合わせて
昔先輩が吸ってたタバコを供えてご両親と話帰った
あれ以来伺えずにいる
大切な人は私より長生きしてほしい
見送るのも残された人達を見るのも嫌だ
死は単純だ
単純過ぎて下らない
だからうんざりだ
次に一番早く死ぬなら私がいい
見送るのはもう嫌