マミヤさんと何となく

なんとなくな暇潰しの話を なんとなく楽しんで頂ければ幸いです。

笹露

 

こんばんは

 

OLYMPUS PEN mamiya-sekor F1.4 55mm

 

今日の仕事終わり

ちび猫を見に行く予定でした

 

黒い尻尾を立て

こちらに向かってくる白い綿飴

 

写真で無く

生で触れる

 

それだけを生き甲斐に

わたしゃ糞暑い中働いて、、

 

飼い主決まったみたいです

嫁から連絡受けた同僚

 

まだうちに居るんで見に来ます

 

会うと辛くなるから、、、

いいや、、、

 

縁は無かったみたいです、、、、

 

 

 

さてさて

 

 

 

フジ デジカメ ズーム

 

知り合い所蔵の脇差

 

一度

乞われて

この脇差で試し切りをしましたが

わたしみたいなポンコツでも

手の内に抵抗無く斬れたので

実用では最高に使えるでしょうね

 

試し切り

に限らず

力を持つと

武器を持つと

その威力や威厳を試してみたくなるのが

人間の性なんでしょうかね

 

小さい頃に散々色々斬ったので

わたしは斬ることにあまり惹かれなくなりましたが

未経験の人間が

初めて刀を手にしたときに

切れ味が気になるのはしょうがないのかもしれません

 

斬る為の道具なんですからね

 

自分で斬ってみたい

「刀の切れ味を知りたい」が芯になってます

 

んで

江戸時代から今に至るまで

武道というお遊びで残ってますね

 

しかし

刀に箔をつける為に

刀自体の切れ味を試したい人間も多く居ました

 

それは実戦の為で無く

お上に献上したり

褒美に見繕ったり

単純に自分を飾る為に

というのが多かったようです

 

セレブがドレスやバッグを自慢するように

武士は自分の刀の切れ味で話しに花を咲かせたんでしょうね

 

 

 

 

試し切りで有名なのは

山田浅右衛門

 

初代の貞武から始まり

二代 吉時

三代 吉継

四代 吉寛

五代 吉睦 五代継承は一悶着あった

六代 吉昌 六代継承はたくさん悶着あった

七代 吉利

八代 吉豊 

 

んで

一応 吉亮

 

 

元文元年十月十五日(1736年)

お上から正式に「お家芸」と許可を受けてから

 

明治七年二月十二日

斬り役を解かれるまで

山田浅右衛門は継がれてきました

 

まぁ

その後も

吉亮は明治十二年に高橋お伝の斬り手になってますがね

 

その後

明治十三年

絞首刑が一般的になり

市ヶ谷監獄所に書記として配属されてた吉亮は

十五年依願退職したようです

 

血が流れないが苦しみが続く絞首

血が流れるが一瞬で済む斬首

そして

人の手でで無く

ロープで機械的作業になった処刑に

何を思ったのか、、、

 

浅右衛門といえば

肝で薬を作ってたのもありますが、、、

まぁそれは長くなるし面倒なので置いておきます

 

 

山田浅右衛門

 

初代から末代まで

何人斬ったのでしょう

 

例えば

 

鵜飼十郎右衛門

1677年~1700年までの間

千百五人斬っています

斬り手をやめ

小石川伝通院に碑を建てたらしいですが

今も残ってるのですかね?

 

その弟子であり

初代浅右衛門の師である

山野勘十郎永久

二十の頃から五十までの間だけで

六千人以上斬ってます

因みに七十まで生きてます

台東区に仏堂、門前地を建立したのは彼です

永久寺

興味ある方は伺ってみたら如何でしょう

 

八代続いた山田家の落とした首は、、、

 

浅右衛門の試し切りは

斬首後の死体でしたが、、、

 

鵜飼十郎右衛門

山野勘十郎永久

或いは

中川左平太重良の時代

試し切りといえば生き銅でした

 

罪人を生きたまま固定し

試したい部位を斬る

 

更に

切り口に手を突っ込み

肋骨がその場で動いてなければ切れ味良し

肋骨がずれてれば切れ味鈍し

みたいな事もやってたようです

 

一撃で致命傷の部位を試してもらえれば

苦痛は少なく済んだでしょうが、、

まぁ、、、ね

どこまで慈悲が届いていたのやら、、

 

斬られる人間は

試し斬りに処されるような罪を犯した罪人ですからね

 

生き死にが今よりリアルで

自業自得を重んじてた時代です

 

勿論

死体で試し斬りしてた

後代浅右衛門の時代でもね

 

死後も辱めを受けるというのは

本人の作った業なんですから

 

そして

仕事としで

首を落とし

試し切りをしてた彼らの多くが

仏に救いを求めたのもなんとなく分かります

 

塵も積もれば山となりますから

 

そして

それは人間だけで無く

物使われた刀にも

場所にもね

 

某美術館で

山田浅右衛門所縁の展示会をしようとし

刀と拵えを揃えたら

色々不幸が起こった

、、、という

嘘か真か噂話が残ってます

 

今は別々に

その美術館で保管されてるとか、、、

まぁ

真相は知りませんがね

 

高橋お伝は土壇場で

命乞いと恨み辛みを喚き散らし

大暴れして首を斬られたと言います

 

ストンと落とされた首は何を考えてたのか

ストンと落とした首を眺め何を考えたのか

 

フッ素で鈍感になってる現代人には

逆立ちしても理解できないのかもしれませんね

 

あれ?

何を書こうとしたんだっけ?

 

首が落とされたみたいに無気力になってます、、、

 

という

お話