マミヤさんと何となく

なんとなくな暇潰しの話を なんとなく楽しんで頂ければ幸いです。

馬鹿に刃物、間抜けに絹

 

こんばんは

 

MAMIYA C33 Mamiya-sekor DS 105mm F3.5 FOMAPAN 200

 

勝虫

 

真っ直ぐ飛ぶ姿から兵に好まれ

鎧兜や刀剣装飾

家紋なんかにも使われてました

 

真っ直ぐ飛ぶ蜻蛉って

オニヤンマくらいしか想像できないなぁ、、、

 

真っ直ぐ敵陣を目指す蜻蛉のような兵士ら

それを切り裂いてきた

本多平八郎忠勝の蜻蛉切りは

言葉遊びを交えた洒落なのかもしれませんね

 

「刃先にとまった蜻蛉を両断した」より面白い

 

同じ様な理由で

マイナーですが

ムカデも好まれたみたいです

 

前にぐんぐん進み

後退しない姿は兵の理想だったんでしょう

 

藤原秀郷の大ムカデ退治は有名ですが

赤城山の大ムカデも有名

 

そーいえば

大蜻蛉の妖怪や神様って聞いたことないな

 

 

 

さてさて

 

 

蝙蝠

月と兎

なんてのは

刀装具でもちらほら見ます

 

短冊

織物

なんかを散りばめ

七夕を完成させる

なーーんて洒落てるのも

天下太平の江戸時代には出てます

 

今まで見た中で一番好きだったのが

 

骸骨

灯篭

牡丹

って組み合わせの一式

 

分かる人には簡単に分かる

アレを刀装具にしてたモノでした

 

 

わたし昔からお露さんの大ファンなんです

 

あの拵えは欲しかったなぁ、、、

 

まぁ

凝ってる刀装具ってのは

正直実用には向きません

 

ですから

実用品時代の刀や装具の装飾には

梵字倶利伽羅なんかが多く

ゲンを担ぐ意味合いが多かったようです

 

生き死にの問題ですからね

自分の命を預ける道具に寄せる想いは大きかったでしょう

 

太平の時代になっても

常に身に着ける人間はやっぱり敬意を持ってたみたいです

 

装飾で洒落た遊びを好んだのは

無駄に金を持ってた武家や商人連中だったようです

 

あれま

こりゃ

現代も変わりませんねぇ

 

実用と装飾過多は両立しません

両立すると思ってる連中は

道具を使いこなせてないだけです

 

バッグは物が入らなきゃ意味がない

刀は斬れなきゃ意味がない

時計は時刻を瞬時に見れなきゃ意味がない

 

そんで

どれも

長く使えて

直して受け継げる頑丈さが無ければ

子供の玩具でしかありません

 

 

受け継がれてきた物ってのには

独特の雰囲気があり

独特の柔らかさや鋭さがあり

独特のナニカが宿ってるもんです

 

そんな

色々な時代を経て

様々な人間や景色を見てきた物に対し

わたしらが示せる敬意ってのは

大事に使い

次世代へ継いで行く

って

簡単な事なんですけどね

 

それすら出来ない人間が多いってのは

今の時代の人間がどれだけ腐ってるのか良く分かる

指標なのではないでしょうかね

 

遊びたいなら玩具で遊びなさい

 

鉈で竹は斬れるし

がま口にもお金は入りますよ

 

という

お話