マミヤさんと何となく

なんとなくな暇潰しの話を なんとなく楽しんで頂ければ幸いです。

上司や校長の長話は誰の得?

 

こんばんは

 

FujiFilm XP60

 

わたしが中学生の頃の冬に

深夜小腹が空いて二階から一階の台所を目指し

階段を下りて座敷の扉を開けたら

弟と婆ちゃんがテレビを見てました

 

その前を横切り

台所の引き戸を開けたら

真っ暗な台所の中から

鼻先に一瞬で着物姿の女性が現れ

わたしの胸を右手で軽く触れてきました

 

驚く間もなく

わたしは台所の扉から

座敷の端まで吹っ飛ぶみたいに転がされました

弟と婆ちゃんはわたしがふざけたのだと思い

驚きながら文句言ってました

 

弟を殴りつつ

「台所に女がいる!」

言いました

 

弟も婆ちゃんも

「一人でいきなり転がった」

と言い

悔しいから何故か閉まってる扉を開けて

電気を着けたのですが

台所には誰も居ませんでした

 

 

はい

ここまで

 

 

これを短めに書いてみましょうか

 

 

学生の頃

夜食を食べに一階の台所に行き

扉を開けたら

暗闇の眼前に着物姿の女性が立っていて

細い手で軽く触れられた瞬間

座敷の隅まで転がされました

 

転がるわたしを見てた

婆ちゃんも弟も

女性は見てないそうです

開けた扉は閉まってました

 

 

 

さてさて

 

 

 

小説って

面白い

面白くない

それは個々其々の感覚でしょう

 

まぁ

何事もそうですけど

文字を読むって限られた情報だけで世界を想像する

小説ってヤツは

読む側の感性ってのを一番刺激してる気がします

 

さて

 

わたしは個人的に

「詳しく説明してくる」というのが嫌いです

 

文字を読むってのは

足りない部分を想像力で補填しながら

頭の中に景色を作るから面白いのに

 

細かい部分まで指定されると

作者の想像の押し付けが鬱陶しくなり読む気が失せます

 

村上春樹のナントカって小説は10ページで飽き

ドストエフスキー罪と罰は15ページで胃もたれ起こしました

 

推理小説が嫌いな理由も半分それ

細かく細かく設定されてるほど

作家のニヤけ顔がチラついて読むことに集中できなくなります

 

勿論

専門書のようなモノなら

気になってる事柄を調べてるわけですから気にはなりません

但し

事実の羅列というのが前提ですけどね

 

作者の無駄な推測が

さも事実のように書かれてると

やっぱり読む気が萎えてしまいます

 

精通してる専門家の考察は面白いですよ

でもね

最近は自称専門化が多すぎて

考察内容もネットの切抜きみたいなペランペラン

ってのが現状

 

そんな考察

なーーーんも意味はありません

 

おれはこー思うけどどう?

ねぇ?

どう?

 

読んでる横から永遠に言われてる気分になります

 

星新一さんという方の

ショートショートって本を友人にプレゼントされ

読んだとき衝撃を受けました

 

内容が濃く

しかもどの話も

長編に出来そうな完成度なのに

全て短編

 

夏目漱石

長編より

夢十夜が一番面白かった

 

時分の想像を文字に出来るのは凄いこと

文字で景色や物語を伝えられるのは

具体的に描く絵よりもある意味凄いと思います

 

わたしは絵も文章も音痴?なので

描ける

書ける方々は尊敬します

 

面白ければですがね

 

説明を一々挟むのは外国流

無駄を排除し雰囲気を書けるのが日本流

 

最近の小説って

無駄が多すぎる気がするんですよねぇ、、

 

絵本のほうが深い気がしますよ

ダラダラ長話してみました

 

という

お話